<在オランダ日系2世>とは?
― アジア・太平洋戦争と戦後の足跡・日本・インドネシア・オランダ ―

[日本 : 父親となった軍人・軍属・一般邦人]

手紙写真 戦争中、日本軍は蘭印(らんいん・インドネシア)を攻略。オランダ軍等を9日間で無条件降伏し、3年半もの長い間占領しました。〈父〉となった男性は軍人・軍属・一般邦人ですが、風紀を取り締まる立場の軍人・憲兵・警察官なども多くいます。
わが子と女性を蘭印に残して帰還した〈父〉の中には、戦後、日本から手紙を出したり、捜した人もいますが、それはごくわずか、ほとんどの男性が連絡をとらず日本で新たに結婚して戦後の道を歩んでいます。

[インドネシア]

この国はかつて「蘭領東印度(らんりょうひがしいんど)」と呼称。オランダ国王の統治となったのは100年ほどですが、一般的に植民地時代は300年とも350年ともいわれています。この間、現地女性とオランダ人男性との間に混血児が誕生しました。
戦時中、占領した日本軍は、オランダ軍人等を俘虜収容所に、一般のオランダ市民を収容所に抑留。おもな蘭印の島々には地上戦がなかったのです。日本軍は、現地女性(オランダ系・中国系なども含む)に自活を強要したため、女性たちは飲食店やホテルなどで働きました。そこに、日本人と現地女性との出会いがあり、そして、たくさんの日系2世が誕生しました。誕生人数は、実態調査をした国がないため不明ですが、一説には1万人とも1万5千人ともいわれています。  
内山氏に届いた「依頼状」は75通。ここから統計をとると、誕生年には、終戦年の昭和20年と翌21年が多くみられます。敗戦後の蘭印は、オランダからの独立戦争が4年余りありました。この間、多くの蘭印系の子どもたちが、母親と継父と共にオランダへ移住しています。 「蘭印で誕生した日系2世」は2つに分かれます。母親と共にインドネシアに留まった子と、オランダへ移住した子。ここで取り上げるのはオランダへ移住した日系2世のことです。

[オランダ : 日系2世のこと]

蘭印からオランダへの移住者は23万人(25万人説・30万説も)。移住した子どもの人数は2000人説が多く見られますが、これも実態調査された人数ではありません。オランダ大使館によると、移住した子ども数は「800~8000人」となっています。
移住者の多くは、戦時中、日本軍から強制労働に従事した元捕虜と、非人道的な扱いを受けた一般市民、強い反日感情を抱いた人々でした。社会では、日本の父親によく似た小さな体、黒い髪と瞳、肌の色は目立ちます。日本に対する悪く感情が2世たちに襲いかかってきました。 反日感情は社会のみならず家庭の中にも浸透。日本の〈父〉が去った後、ほとんどの母親が元オランダ軍人と結婚し2世の継父となっていたことがあります。2世の中には、継父と母親に蔑視され、みじめな子ども時代を送ってきた人が少なくありません。
大人になった彼らは、内務省・国連技師・音楽家・大学の講師、大手企業など、健全な社会人として今日を迎えてきましたが、その内面には戦争のトラウマを抱えています。

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